戦後日本は幸運で幸せな時代だったんですね。

時代も人々も冷戦による軍事的な緊張を時に感じながら、経済的には右肩上がりで、将来は漠然とでも明るい楽観的な未来だったんでしょうね。

うーーん、下手な例えになりますが、8月頭のうだる陽気、夕立がざっーーと降ったものの、そのあとカラッと晴れて、ちょっとムシムシ、西の空にはきれいな夕日、元気な小学生が歌を歌いながら下校しているありふれた夕暮れ時、明日も快晴、熱くなるぞってイメージでしょうか?

米ソ両国のにらみ合いだたからこそ、どこかで最悪の事態にはならないという安心感はあったんでしょうね、お互いに失いたくないものがある国ですから。

その裏で、戦争に傷ついた国々は明日への成長、食べ物とものにあふれた豊かな時代を夢見て走り続けたんですね。ほしいものが沢山あるし、ほしいものがどんどん出てくる時代で、美味しいもの、海外からの珍しいもの、かっこいいものが入ってくる時。

人間で言えば20代から30代半ばまでの我よ我よの血気盛んな時でしょうね。周りと比べて悔しがり、優越感に浸り、今度はあれを手に入れて、これはまだ知られていないから買ってみよう、遊んでみよう、みたいな時でしょうね。

果たして自分が本当にほしいこと、やりたいことなのかは後になってはわかりませんが、でもそういう時は必ず必要で、大事な時間なんですよね。充実感、達成感は必ず必要です、絶対に。

昔は、若いときは・・・って言えるだけのばか騒ぎや衝動買いも経験しないと、もうお腹一杯で、ギラギラものにこだわるのはもうかっこ悪い、なんて思えないでしょうし。


 そういう時を過ぎた日本、先進国はこれからも資本主義の名の下、武骨な競争を続けるのでしょうか。

資本主義はその制度が有益なのであって、市場原理という名の下で強いものが勝ち続けるかの如く、人々の情けやバランスなどあうんの呼吸で全体の調和がとれるような世界ではなくなってきています。

グローバル化がさも当たり前の様ですが、人々の交流や物流の流れは時代が進むに連れて盛んになればよいでしょうし、そうなるのが自然でしょうが、企業経営という観点で、途上国から資源を低価で仕入れて労働力を廉価で使用して、その利益は本国、とりわけ、会社役員や株主へ集中して分配することにどんな正当性があるのか。

大型店舗法という大型小売店の規制法が撤廃されたのと同じ様に、大きなものが勝って、つつがなく多くを求めず、生業としての自営業者はどんどん店をたたんでいく。

物は企画化されて面白みや新鮮味に欠け、大型化することにより安くて良い品を手に入れられるのかと思っていたら、安くなく、添加物にまみれた、ワクワクもしない商品に囲まれる時代になったような気がします。


 とにかく業績という名の売上、利益が右肩に上がらないといけないという”この”企業価値に盲目に従えば社会が破綻をきたすのはこれからの世では必然ではないでしょうか。

会社の不祥事のどの程度かは確認したこともありませんが、自らが一線を越えたルール違反をしたのではなく、上司や組織からの叶うはずもない支持に仕上がったがための歪がそこかしこで出ているように思います。

数字の付け替えや無謀な事業経営、社会ルールを破ってまでも達成を迫るような下命に加え、そのしわ寄せがブラック企業なる事態を生み出しています。

 個々人の関わり合いであれば、こういった選択はなかなか起きることはないと思われますが、集団化し、組織という心を失った集まりでは、よからぬ方向に漂い始めるのが人間の性、怖いものです。

誰もが間違っていると思ってても、それを止めることが中々出来ないのは、英知が足りないのでしょうか。

 間違いなく、リーマンショックなどはそのねじれた欲望なのか、権力なのかが現れた特徴的な事象です。

もはや成長しないんです、出来ないんです。そこに成長を求めるからこそ、サブプライムという意味も分からない債券ができて、それが有名企業のものだからという理由で購入、転売されて、実体経済を大きく離れてしまった。

必ずまた起きるのがこれまでの歴史が教えてくれますし、あながち恐慌という形にならなかったことが幸せなのか否か。こういう時に、手を出さない勇気と智慧がほしいです、私は違うという芯がほしいです。


 これからも途上国の成長余地に先進国は殺到するでしょうし、一部では先進国の中でも自国内の堅実な人口増加による成長は当然見込まれるところでしょう。しかし、そうでない限り最低限の内需によるそこそこの社会サービスをもって、物質的な豊かさに少し背を向けて、顎を引いて目線をまっすぐ先か大地を見ればいいと思うんです。

そればかりを見上げて上昇することが全てではない、落ちるときは落ちるし、底なしに落ちることはないんです。


 ”1番じゃなければダメなんですか?”とは、これからの日本を象徴するフレーズになるのかもしれません。1番じゃなくても、あいつは凄いよね、一目置く人だねと思われればそれだけでもいいと思いますが。私は学校で一番には程遠く、むしろ中庸そのものでしたが、生きていけるんです。

歴史がそれを証明しています。周りとぼちぼちやっていければ、ぼちぼち生きていけるんです。

周りと同じかその一歩先ぐらいなんて、国も、自分も思わないでよいぐらいの覚悟?あきらめ?割り切り?見極め?がほしいですね。

私がそうでなかった分、次の世代には学歴やお金だけでは”なぜ”無いのかを、じっくりお話ししていきたいと思います。